あしたはきっといい日になる!

毎日つらい。いつかこんなこともあったなって懐かしく思える日まで。

私はきっと根本を勘違いしていたんだ

カウンセリング後、主人と何度も話した。

こちらに任せたい

長男が自分に自信をもって自分の人生を歩いていけるようにしたい

と思った。

 

でもどうしたらいいか分からず電話した

「これからどうしたらいいか」と

 

「今の状況では学校と行っても無理だと思うので

しんどい気持ちを元気にするとこまで持っていけるように

まずは両親が納得して、お子様に伝えていく

そしてまたお電話ください、という話しだったと聞いていますが

そのような話ではなかったですか?」

 

と。

確かにそのような話をしていただいたと思う。

私たちが、どうしていけばいいか理解できていなかったんだ。

 

電話を切った後、考えた。

 

私はきっと根本を勘違いしていた。

 

誰かに、どこかに頼れば、どうにかなる。どうにかしてくれる。

だれかタスケテ。

きっとそう思っていた。

 

病院に行くにしても、カウンセリングに行くにしても

フリースクールにいくにしても、学校に行くにしても…

まずは息子と私たちが話すことが大切。

話さないと何も始まらない。

 

無意識に、話すことを避けていたんだ。

いまはそっとしておくときだから、って

面倒なことから逃げてきたんだ。

いよいよヤバイよって思って

人に任せて何とかしてくれって思っていた自分が情けないよ。

 

でも、部屋から出てこない、

たまに出てきたときにネットの時間のことについて言ったら

「そーいうことばっかりやけん、いやなんよ」

と言ってすぐに部屋にこもった。

 

起きている時間はずっとゲーム。

昨日は33時間続けていたよう。

途中お風呂に入ったけど、心配だよ。

 

私が布団に行くときにも、12時にも

「体が心配だから、、長男に何かあったらお母さん辛い。

これ以上体調崩してほしくないよ。長男のことが心配なんよ」

 

って伝えたけど。やめることはなかった。

 

もっと本気で向き合って、あきらめず声かけ続ける。

まずはご飯を一緒に食べたい。

ゲームは最終どんなにやっても5時間くらいにしてほしい。

けど、今はせめて10時間にしてほしい。

夜は寝てほしい。

 

誰かにすがって簡単に解決すると甘い考えの自分を変えないといけない。

泣いている場合じゃないんだよ。私。

 

 

 

カウンセリング

フリースクールのようなところのカウンセリングに両親でいってきた。

 

さいころから現在までの様子などを伝えた。

 

「本人には何かしんどいところがあって、野球をすることで

自己肯定していたのかもしれませんね」

 

「本人がつらいと思っていることを両親が望まないでください。」

(母→学校に行ってほしい、父→また野球をやってほしい)

 

「今の義務教育のこの少しの時間より、これから先の人生が長い。

もしこのまま高校等に進学したとしても、根本的なことを解決していないので

また同じことを繰り返す。学校でも社会でも。それは本人もとても辛いこと。

自分のしんどいこと等に気付かせて自己肯定できるようにして、これから先

長い人生を生きやすくする。」

 

「本人にもあってないし、今回の話だけで長男のことは分からないが、

会えたら分かる(今までかなりの人数をみてきた)し、集団の中に入って

活動していくことで見えることがある。

そのためには、両親はかなりの覚悟が必要ですよ。

長男には会えないから、カウンセラーの私に代わって長男に声をかけ続けること。

あなたのことを愛していて、とても大切な存在なのだということを。」

 

「一番大切なのは命です。」

 

「お母さん、泣く気持ちもわかりますが、

泣くというのは、本人を認めていない理解していないから。

学校に行ってほしいと思っているから。

中学校に行かなくてもいいんです。

大学生なんていろんな年代の人がいますよ。

もし、子供の命が危険にさらされているときに涙がでますか?

守らないと、と必死になって涙なんてでないと思いますよ。

このままの状態をつづけるとどんどん自己肯定も低くなり

自分なんて生きている意味があるのだろうかと考えるようになっていきます。

命がなくなったら終わりなんです。」

 

「ゲームなんて、元気になってもみんなゲームばっかりです」

 

 

とりあえず備忘録。

きっともっといい言葉で言ってもらってたと思うけど。

 

特に印象強かったのは、「野球をすることで自己肯定していたのかも」

ということ。

長男は世間一般で言うような本当に当たり前のようなことをするのが

苦手なところがある。

小学校入学してから今までずっと思ってたし注意してきたし治らなかった。

その中でずっと続けてきていたという野球は心の支えだったのかもしれない。

でもその野球も本当はしんどかったのかもしれないし、

中学になってからは人間関係がうまくいかずしんどい思いをしているのでは

と心配することも多かった。

それに気づいていたのに無理させていたんだよね。

がんばっていたのに

頑張っていたことにプラスの声かけなんてお母さんしてなかったね。

ごめんね。

 

学校行かなくていいんだよ

 

って私が自分自身に必死で言い聞かせて、今はそう思っているつもりでも

やっぱ心の奥底には

行ってほしい

行ってくれてたら

って気持ちあったよ。

 

長男のこと、いろいろ聞かれたけど今まで長男がどうだったかあやふやで

はっきり答えれないことも多かった。

 

わたし、向き合っているつもりでちゃんと長男のことを

見ていなかったのかなって思った。

”いままで一生懸命向き合って子育てしてきた。

でも弟ができて、仕事もあったし、いろいろいっぱいいっぱいやったし

そんなにはっきり覚えれんよ”

っていつも自分に言い訳して正当化してきた。

自分が出来ていないくせにきっと子供には「しなさい」と言っていた。

 

まず、私がかわる。

主人も変わる。

 

長男がこれから先の人生、少しでもしんどくないように

出来ることを精一杯やっていきたい。

 

私、これから先もたくさん泣いちゃうと思う。

でも、長男を理解してないわけでも長男のせいでもない。

 

あなたは、今までもこれから先もずっと

一番最初に私たち夫婦のところにきてくれた

かけがえのない大切な存在だからね。

 

 

 

ゲーム障害?なのかな…

前回の家庭訪問からもむなしく

なかなか会えない日々。

 

多分、夜遅くまでゲーム

昼過ぎに起きる

起きてる間はずっとゲーム

ご飯は1日1回

お風呂に入らない、もう4日入ってないよ

 

ネット依存、ゲーム障害

なのかなって思う。

 

昨日夜中に

「もう、いい加減にしーよ。

 やりすぎやないか?一日に10時間以上とか体壊すよ。

 長男が自分で制限するっていうから、制限してないけど

 自分で制限ができんのやったらせんといけなくなるよ」

って声かけてしまったよ。

怒るでもなく、静かに声かけしたけど

もっと他の言い方があったのかなぁ。

 

12時くらいできりがいいところでゲームやネットをやめる約束。

長男と一緒に決めた約束。

ほとんど守られていない。

守れないならWi-Fiを12時から朝5時まで切るように設定するよ。

って話なんだけど。

長男の部屋に入らないと設定できないし

制限することで怒ったり、何か悪いことが起こったら…って思ってしまう。

 

でも、こんなのもうおかしいよね?

いくら不登校だからって、こんなにオンラインゲームおかしいよ。

ネット内のコミュニティもある程度ならいいと思う。

支えになったり、自分がやりがいを感じたり、すると思うから。

 

でも今のあなたの状況

お母さんからみれば、ここまで日常生活を犠牲にしてまですることじゃないと、思う。

もし、本当にあなたのことを心配して仲良くしている人なら

いくらでも自分の好きなだけやったらいいよ

なんて言わないと思う。

 

どうすればいいのか、どう声変えしていけばいいのか

何が正解なのか

分からないよ。

 

 

 

本③

子どもは長所も短所も両方持っているのに、もし親が良い部分に目を向けず

弱い部分、苦手な部分にばかり目を向けて、そこを直そうとすると

子どもは自信を無くしてしまう。

 

大切なのは子供に自信を持たせること。

そのためには、子供のよいところを見るようにする。

良い部分を伸ばし、新しい可能性を見つけてあげること。

出来ないことの原因探しをしても何の役にも立たない。

・得意なことは何?

・好きなことは何?

・素晴らしい部分は何?

・優しいところはどんなところ?

・可愛いところはどんなところ?

・強いところはどんなところ?

 

私が不安に思えは子供も不安になる。

両親が大丈夫と思えば子供まで安心する。

安心があって初めて行動に移せる。

 

私が、自分を尊敬し自分を大切にする。

自分自身を愛していない人からの愛は信じられないし、伝わらない。

 

私自身がいつも笑顔で幸せな気持ちで居なければならない。

自分の心さえままならない人が落ち込んでいる子供を元気にできるだろうか?

自分の人生を楽しむ。

私が不安から抜け出すことが大切。

まだ起きていないことに心を悩ませない。

良いこと、明るい未来を想像する。

家族、子供の幸せを、想像する。

鏡に向かって笑顔の練習をする。

 

後悔について

誰も悪くない。その時その時の状況でお父さんもお母さんも最善の行動ととっただけ。

間違った行動もあったかもしれないが、それも子供のことを想ってのことだと思う。

自分を責めない。

本②

・応援者になる、変わるのは子供ではなく「応援する大人」

 

・傷ついた隣人の話を聴く、距離感で

 

・「よかれて思うことを子供に提案する」のと「当たり前だ」と思ってはいけない。

 

・「放置」ではなく「無視しないように見守る」

「うるせー」と言い出したら距離をとることが「見守ること」

 

・助け船はいらない。

 「この道行った方がいいよ」という助け舟を求めているわけではなく

 今悩んでいる、傷ついている、混乱している、そんな状態であることを

 知っておいて、理解して、黙って見守っていてほしい。

 「話を聴く」=「子供を分かる」こと。

 子供は答えは自分でだす。

 

・しんどい時「藁にもすがる思い」になるが、すがってはダメ。

 「悪魔は天使の顔をしてやってくる」ことも頭の隅に。

 

・子供の「べつにー」という返事も、対話。

 

・「ふつうは」「みんなは」とかを主語にしない。

 

・世間の当たり前のタイミングに合わせてみんな一斉スタートではなく

 自分が必要になった時、なんとなく気になるときがスタートでもいいじゃないか。

 自分のタイミングを感知する力。

 それは、周囲の人に尊重されて少しずつでてくる。

本①

「学校はちょっとくらい辛くても行くのが当たり前」

という信念が全面展開していて、子供は何が話せるか?

何を分かってもらおうとするか?

多分「むり」で終わるだろう。

 

三日も続けて休んでいるのだから、本人はしんどいに違いない

「自分にはそのしんどさが簡単には分からないのだ」と思うこと

「即効薬はない」とわかること

「今までかなり我慢してきたんだろうな」と思いやること。

まずはそこから始める必要がある。

 

子どもが不安や苛立ちなどの気持ちを出してくれた時には

出してもらえるような親になった、子供に認めてもらえたと思っていい。

そこから子供と一緒に、どうやって行こうと考えていければいい。

 

親が万点主義で間違いを否定して生きていると子供はきつい。

 

子どもは立場が弱いことを自覚して、権力を振りかざさない。

これまでにしてまずかったことをこれからはしないようにすればいい。

親が「こうできなかった」と自分をすごく否定してしまうと

子供の方も否定感が強くなるので、それよりも

これからどうしていきたいのかを親も子もそれぞれ考える

 

「間違える力」が必要。間違いえたり、言いすぎたら、後からでもいいから謝る。

 

自分の不安は子供の不安とは別だと認識して「これは自分の不安なんだ」

と言えたらいい。

自分の不安をどうにかしたいがために、それで子供を何とかしようと頑張ると悪循環。

 

エンパワメント

自分はダメだ、自分が悪いからこうなってしまった。と、

抑圧してしまうと身動き取れなくなり苦しくなる。

そこから外的抑圧となるものをなくしていく、減らしていくと

自分で元に戻ろうとすることができる。

自分が外的抑圧になってないか?

親は火に油を注ぐことをしてしまいがち。

 

親は子供のためにいろいろしてきたと思っているが

子供にとっては何もしてくれてないと感じることもある。

子どもにとって親が何かしてくれるというのは、モノやおカネではなく

一緒にいてくれたとか、大事な時に「うん」と言ってくれたとか。

 

イライラしたり必要以上に叱ってしまうときは

お母さんがどっか不安になっているとき。

 

期待値の方が高くて、そのスタンダードと比べてみている。

期待値ばかりに目が言って、その子のありのままの姿を見ていない。

 

子どもに説教する前に5秒まつ。

親は子供より経験もあるため、いくらでも説教できるけど

正しいことを立て続けにいうと人間は動けなくなる。

冷たい目で見られて、正しいことばかり言われたらたまらない。

待つより、指導・助言する立場の方が楽だから、正しいことをぱっと言ってしまう。

 

子どもを監視する方に大人のエネルギーが集中している。

広い意味での遊びを大人がやりだして、自分の世界を持っているかどうかは子供の心が育っていくうえで大きい。

 

不登校で3年おくれても、他の人が80歳で死んで、自分は83歳まで生きれば

オアイコでしょ、くらいの気持ちで。

 

親がした経験なんてほとんど役に立たないくらい世の中が変わっている。

「今の子は恵まれている」というけどそんなことはない。

今はみんなそれなりにお金持ちになっているから。

 

問題が起こっているんだから、何かしなければ話にならない。

どこをどう反省しどう変わっていくか

それを一人で考えるのはしんどいから、専門家。

 

夫婦でも本気で話して、希望を捨てずに子供のそばに

 

なんとかしようと焦ったら結局長引く

4年5年学校を休んだって大丈夫。あなたの考えていることをゆっくりやっていったらいいんだ、っていう人がそばにいると子供はそこから立ち直ってくる。

スクールカウンセラー

先日、初めてスクールカウンセラーを訪ねてみた。

 

予約の電話が一番勇気がいった。

いざいってみると

 

スクールカウンセラーの部屋の隣が

教室に行きにくい子たちが勉強する部屋だった。

しかも机がスクールカウンセラーの部屋の方に向かっている。

 

”え、声全部聞こえるよね”

 

部屋に入る前の第一印象。

 

部屋に入ると、

「〇〇さんですね」

と。

「すいません。隣の部屋は、教室に行きにくい子たちが勉強してますか?

 子どもがこの学校に通っていて、今学校に行けてないので…

 声が聞こえると思うので…」

とすごく小声で言った。

 

配慮がたりなくてすいません。と話の折に何回も言っていただいたし

隣だけど、隣の話している内容がこちらに聞こえたことはないので

大丈夫だと思います。

って言われていたけど、

静かに自主勉強している子供たちの声があなたに聞こえてくることはないと思うし

学校や教室に行きにくい子は、ものすごく周りの声にも敏感な子たちが多いと

思うから、ちょっとしたことでも聞こえると思うし

同じ学年に同じ苗字の子はいないし

学校に行ってないってなれば個人の特定なんてすぐだし

私がしたこの行動がまわりまわって子供に、悪いように伝わったら悲しいし

こなきゃよかった。

って思った。

 

子どもたちも自由に相談できる場所かもしれないけど

この配置では子供たちは相談しづらいんじゃないかなって思った。

 

次回の予約もして帰ってもらえたら。

と言われ、次回9月に予約をしたけど。

「ここに来てくださったことに意味があります」

って言われたけど、どうなのかな。